万葉集にも歌われた答志島

面積約7平方キロメートルで、鳥羽湾では最大となる島になります。

ここは古くからの寝屋子制度が残る島。
この制度が鳥羽市の無形民俗文化財に指定されているそうです。
この制度は一定年齢に達した男子を世話役の大人が預かって面倒を見るもので、答志島では中学を卒業した
男子が寝屋親と呼ばれる世話係の大人のもとで共同生活を送ることになります。
この共同生活の場を寝屋子といいます。
現在は夕食は各家庭で取り、その後集まったり、漁業が休業となる土曜日の前の晩、金曜の夜に
集まることが主流。核家庭で育った環境の人たちにとっては、共同生活で覚えるものも多いことでしょう。
島暮らしの経験のない人にとっては少々苦痛な場かも知れませんが、社交を学ぶ場としては最適な場
であると言えるでしょう。
寝屋子では漁業を学んだり、村の祭り(神祭など)のときに大切な役目を任されたりします。
寝屋子は、メンバーのだれかが結婚すると解散。解散する寝屋子があれば新たに結成される寝屋子もあり、
答志島では10組程度の寝屋子が存在しています。まだまだ続いているんですね。

 

寝屋子制度は徳川時代に15歳になった少年が「若い衆」と呼ばれる集団の一員となったのが
この制度の始まりと考えられています。
九鬼水軍が船の漕ぎ手をすばやく集めるためにつくったという説や江戸時代が発祥という説もあります。
答志島は古くから漁師町であったため、漁そのものや船掃除など、
大勢の人々が協力しないと成立しない作業が多くそのため必要な制度だったようです。

 

さて、この答志島は、万葉集でも歌われているようです。
、持統天皇の伊勢行幸にあたって都に残った柿本人麻呂により、
* 釧着く答志(手節)の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ
と読まれました。
古代に柿本人麻呂以外にも西行法師が歌を詠み、近世には水軍の将として戦国時代を生き抜いた
九鬼嘉隆の終焉の地としても知られています。

 

 

歴史的な観点からもとても魅力的な島なのですが、それ以外の様々な目的でも過ごすことができます。
答志島のファミリーハイキングコースの答志島スカイラインの沿道にはソメイヨシノなど
桜の古木が植えられており、3月下旬から4月上旬にかけての美しい桜並木を見ながらウォーキングができます。
また、鳥羽湾や太平洋も一望でき、特に島の中腹からの展望は絶景です。
山と海を見ながらウォーキングなんてなかなかできないですよね。
また毎年花嫁募集イベントも行われるサンシャインビーチは水質の良さと黄褐色砂浜が評判です。
幼児用プールやトイレ、シャワーと設備も整っており、「魚のつかみどり大会」などの各種イベントも
行われています。