三島由紀夫「潮騒」の舞台…神島

鳥羽の離島「神島」は三島由紀夫代表作「潮騒」の舞台となっています。
三島は1953年に2階ほど神島に滞在しており、そのうち1回は1カ月ほど滞在し、
島民の生活を経験したようです。


旅館でなく、島民として、生活したいと申し出た三島由紀夫は当時漁協のトップをしていた
寺田家へ宿泊することになりました。

 

当時食事を2階に持っていくと「僕は客じゃない」と食事も1階の食卓で家族囲んで取ったようです。

 

ここは、神島の名が示すように、神の支配する島と信じられていました。
後に八代龍王を祭神として八代神社が設けられました。
そんな古くからの島へ三島由紀夫はなぜたどり着いたのでしょうか。

 

島民が支え合って生きていかなければいけないこの生活の中で、
親交のあった、かの川端康成に
「目下、神島という一孤島に来ております。映画館もパチンコ屋も呑み屋も、喫茶店も、
すべて『よごれた』ものはなにもありません。この僕まで浄化されてー。
ここには本当の人間の生活がありそうです」(『三島由紀夫書簡集』)
と手紙を送っています。
支えあう島民の暮らしの中に何をみたのでしょうか。

 

「潮騒」は若い漁師の新治が、養子先から戻された網元の娘初江と会ったのが島の浜。
しかし有力者の息子安夫が横やりをいれ、初江の父照吉も二人の仲を裂く。
照吉は若者たちを試すのに持ち船に乗りこませる。苦難の末
晴れて婚約、詣でた八代神社、海の遠くをながめた灯台はいまも島の名所。
5度ほど映画化され、アニメ「日本昔ばなし」にてアニメ化されたほどの根強い人気を誇っています。

 

離島の生活の中での不憫は水の使用です。
潮騒の中でも2度ほど共同風呂の場面が出てきており、持ち風呂の話は出てきておりません。
神島では昔から使っていた共同井戸が今も残されており、当時の生活を物語ります。
島の女性はかならここで洗濯をしていたのです。
現在は海底パイプが通っており、水道はありますが、戦後でもまだ、不憫さは続いていたのでしょう。

電力は戦後漁協が作ったとされる発電所にて起こしていたそうです。
現在は本土から送電されるようですが、非常用としてまだ発電所が残っているため見ることができます。

 

現在にまで続く島民の暮らし、支え合う人の中にこそ、
三島由紀夫のが語った「人間のほんとうの暮らし」があるのかもしれませんね。